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鈴木啓功の略歴(2)


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          ウラの略歴
          (内的略歴)



     鈴木啓功(すずき・けいこう)
       哲学者・著作家



●魂の声について



◇幼稚園の時代から、それがなんであるかはわからなかったが、この世ではないところからの、なにか別の声が聞こえる。別に、オカルト的な話が、したいわけではない。話は、幼稚園の時代にさかのぼる。

◇幼稚園には、3年間、スクールバスで通園したが、その1日の始まりは、だいたいこんなふうである。

◇幼稚園の入り口で、スクールバスを降りると、私は、2階にある自分の教室への階段を駆け上がる。そして自分の机に、ちびっこい幼稚園カバンを、バコ-ンと放り投げると、次には、2階から運動場へ向かう大きい滑り台を、ウェーイッ、と叫びながら、滑り降りる。バカなことを言うように聞こえるかもしれないが、幼稚園児の私にとっては、これが気持ちいいわけだ。

◇ところが、このようなときに、どこからか「声」がするわけだ。そしてその声は、たとえば、次のように言うのである。「お前はそんなことが楽しいのか」と。

◇その声の調子は、別にバカにしているふうでもないのだが、幼稚園児の私にとっては、大きなお世話なのである。しかし、一応、質問されているわけであるから、幼稚園児の私は「ああ楽しいよ」と、心の中で、答えるのである。

◇このような、声との会話は、幼稚園児の私にとって、多少は、メンド臭いという気持ちがしないわけではなかったが、しかし声が聞こえてくるのであるから仕方がない。だがそれにしてもその声はどこから聞こえてくるのか。

◇ここでは、細かい話は書かないが、幼稚園児の私は、その声を「自分の前世の声」あるいは「自分の魂の声」と理解した。

◇なぜそのように理解したかは説明がつかないが、身体感覚として、そのような「絶対的認識」があったのだ。念のためだが、私の家は、宗教やオカルトとは、まったく無縁の家である。私の家は、いわゆる「葬式仏教徒」にすぎないし、最近では、先祖代々の寺の坊主が、あまりにカネに汚いので、葬式仏教徒であることすらをやめてしまったくらいである。

◇幼稚園の時代から書き始めているとキリがない。以上を、イントロにして、話は、高校時代へと飛ぶ。



●哲学体系について



◇高校時代、私は、ドイツの哲学者、ショウペンハウエルとニーチェを経て、哲学の世界に参入する。ここから先は、ある意味、人生の道筋が、決まったようなものである。なにをやって飯を食うかはともかく、自分がなにを求めているかは、きわめてハッキリしたのである。つまり、私は、「この世とあの世の、森羅万象を、論理的・体系的に、大きく理解したい」ということだ。

◇そういうわけで、大学は、上智大学文学部哲学科に入学したが、大学における哲学は、私が求めているものとは、大いに異なったものだった。当時、私の「学」の3本柱は、「宗教・歴史・哲学」だった。それゆえ、私は、大学の先生の誰かから、たとえば、世界の歴史を、全体として、哲学的に、大きく解読してみてほしかった。ここで、哲学的に、とは、論理的・体系的に、というような意味である。だが、そのようなことができる人はいなかった。

◇私は、哲学とは、自分の頭で、この世とあの世の森羅万象を思考して、そしてそれらの森羅万象を「学」として、論理的・体系的に構築することであると思っていたが、大学の現実はそうではなかった。というより、大きく言えば、私がイメージする「哲学」などは、今の時代にはないのである。それは、外国の高名な哲学者を含めても、同じである。今の世界には「知識」はあるが、「哲学」(論理の体系)というものはないのである。そういうことであるならば、自分でそれを構築する以外にはないではないか。というわけで、私は、独自に学の研鑽に努めたのである。少なくとも、その道筋を作り出した。

◇大学時代、肉体としての私は、ボクシング(1年)や、演劇(2年)や、毎日新聞社・経済部の補助員(3年、4年)などをやっていた。そのようなことと、哲学と、いったいなんの関係があるのか、と言う人がいるかもしれないが、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは兵士だった。同じく、古代ギリシャの哲学者プラトンは格闘技の選手だった。近代哲学の祖と言われるデカルトは傭兵だった。哲学がこじんまりとした書斎学問のようになったのは、カントくらいからである。私は思うのであるが、本当にモノを考えるためには、いろんなことをやったほうがよいのである。

◇大学時代、私は毎日新聞社・経済部の補助員をやっていた。私の仕事は、翌日朝刊の経済面の紙面作りの手伝いである。仕事の中心は、経済部の記者が電話で送ってくる原稿を受けて、新聞社の専用原稿用紙に筆記すること。勤務時間は、毎日、午後5時から9時までの4時間である。だから、当時の私は、夕方、毎日新聞社の社内食堂で飯を食って、それから4階の編集部門に行くのである。

◇仕事後、経済部長や経済部の記者諸氏と、パレスサイドビル(毎日新聞社の東京本社が入っているビル)の中にある店で、ビールなどを飲むことがあった。経済部長と記者諸氏は、情報交換や打ち合わせをしている。私は、それを聞いている。そんなとき、記者の1人が「大学ではなにを勉強しているのか」と聞いた。私は「哲学です」と答え、質問されるがままに「19世紀後半のドイツ哲学がどうしたこうした」と能書きを垂れていたのだが、記者は「古いことをやっているなあ」と言うのである。そして、「現代を知らなきゃダメだよ、現代を・・・」と。日々、現代の経済情勢を追いかけている経済部の新聞記者の立場からは、それはもっともなのである。しかし、私は、「ばかやろう。オレは今、学生なんだ。大学を卒業したらいくらでもそれを学んでやるぞ」と思ったものであった。それは、ついこの間のことのようにも思うのだが、じつは30年前のことなのだ。

◇私は、哲学史においては、「ソクラテス」⇒「プラトン」⇒「アリストテレス」⇒「プロティノス」⇒「デカルト」⇒「カント」⇒「ヘーゲル」の流れを重視している。それ以外にも重要な哲学者は少しばかりいるが、問題は、それぞれの哲学者が、哲学世界(思考世界)のどの高みで、モノを考えていたかということだ。私は思うのであるが、ふつうの人でも、かなりの高みでモノを考えていることがある。問題は、私たちが、その思考内容を、論理的・体系的に大きくまとめることができるか否か、ということなのだ。とにかく、この世に生きる立場からは「西洋の高名な哲学者を恐れるな」と言いたい。そこらの日本の評論家については言うまでもないことだ。彼らは、ウソばっかりを言っているのだ。

◇1980年に大学を卒業した私は、サラリーマンとして、あれこれの仕事をしていたわけであるが、それらもすべて「学び」である。その目的は「現代世界を解読する」ということだ。私は、異業種企業を転職したので、どうでもよいことを含め、いろんなことを知っているし、いろんなところに、友人・知人がいるのである。この世で、働いて、遊んで、そして、本を読んで、その上で、モノを考える。それらの全部は「ひとつ」である。

◇哲学体系を構築する上においては無駄なものはないのである。そして、そのような経緯の中で、私は、自らの哲学体系を構築した。その中に、歴史変動の一般理論しての『超サイクル理論』(世界歴史の構造とメカニズム)が存在する。因みに、私の哲学体系は、大きくは、以下の3部門によって構成される。「基礎哲学」⇒「理論哲学」⇒「実践哲学」



●著作活動について



◇私の哲学体系が構築されたのは、1987年のことだった。同じくして、歴史変動の一般理論としての『超サイクル理論』(世界歴史の構造とメカニズム)も構築された。以下には、『超サイクル理論』についてのみ、述べていく。

◇超サイクル理論を構築した私の目には、世界と日本の未来がどうなるかが、ハッキリと見えていた。当時、経済評論家やエコノミストは「株はまだまだ上がる」と言っていた。だが、超サイクル理論の予測は「もうじきバブルは崩壊する」ということだった。

◇私は、1990年代の日本は「ロクな時代にならないもの」と予測した。それゆえ、バブルで加熱する世間を横目で見ながら、10年間は「寝ていよう」と思ったのである。ただし、超サイクル理論は「仮説」にすぎない。仮説は検証されなければならない。

◇1988年1月、会社を設立した私は、目の前のビジネスをしながら、10年をかけて、超サイクル理論を検証しようと考えた。すると翌年、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結した(1989年)。そして、1990年代に入ると、バブル経済が崩壊を始めた。予測していたとおりのことだった。そして次には「55年体制」が崩壊するぞと思っていたら、案の定、自民党政権が崩壊した(1993年)。

◇この段階では、もはや超サイクル理論は「完璧に検証した」という思いがあった。だから、必ず日本では「大火災」が発生すると予測できた(ここでは詳しく書くことができないが、超サイクル理論の立場からは、過去の歴史を分析して、近未来に何が起こるか、そのいくつかの可能性を、明確に提示することができるのだ)。

◇しかし、そうであるからと言って、私になにができるだろうか。私は「単なるビジネスマン」にすぎない。私は「目の前の仕事」を優先していたのである。ところがである。

◇1995年1月、阪神大震災が発生した。私は「大火災」の発生は予測していたが、阪神大震災までを予測していたと言ったら、ウソになる。しかし、「火の海」と化す神戸を見たとき、私の脳天は「火」を噴き上げた。

◇たとえば、歯磨きのチューブを、ぎゅっと握ると、中身が噴き出してくるだろう。そのようにして、私の体の奥深くから、わけのわからないエネルギーのようなものが噴き上がり、そして脳天をぶち破って火を噴き上げたのだ。私はこのままでは日本はダメになると思った。とにかく、それから1週間にわたって、私の脳天は「火」を噴き続けた。これでは仕事もなにもできるものではない。私が著作活動を開始したのは、それからすぐのことである。

◇1997年、私は2冊の本を発刊した(『世界大逆転の法則』、『国家の終焉・国民の逆数』ごま書房)。だがそれで、私の言いたいことは、終わったわけではないのである。それから延々と著作活動を続けている。

◇私の著作活動の目的は、「日本国再建」、あるいは、「日本国創建」である。もちろんその視線の向こうには、「世界再建」、あるいは、「世界創建」を、ビジョンとしては見据えているが、言葉だけで大きなことを言っても仕方がない。私は「日本人」であるから、まずは「日本国再建」を旗印とするということだ。

  (2008年8月=記)





     【著作リスト】





●『世界大逆転の法則』(ごま書房)

●『国家の終焉・国民の逆数』(ごま書房)

●『喧嘩脳』(徳間書店)

●『日本人よ、癒されている場合ではない!』(KKロングセラーズ)

●『強いあたまで生き残れ!』(KKロングセラーズ)

●『2005年 オレがつぶされない生き方』(三五館)

●『反逆者の時代』(三五館)

●『サラリーマン絶望の未来』(光文社ペーパーバックス)

●『十年後の世界』(明窓出版)

●『ゴールドマン・サックスが解れば世界経済を操る大謀略が見えてくる』(成甲書房)

●『地球支配階級が仕掛けた悪魔の金融恐慌ビジネス』(学研パブリッシング)

●『地球支配階級が仕掛けた悪魔の世界戦争ビジネス』(学研パブリッシング)

●『地球支配階級が仕掛けた世界大恐慌 悪魔のシナリオ』(学研パブリッシング)

●『地球支配階級が仕掛けた世界統一政府 悪魔のシナリオ』(学研パブリッシング)

●『地球支配階級が仕掛けた悪魔の地球人民総奴隷化計画』(学研パブリッシング)

●『日本国の支配構造と暗黒の運命』(学研パブリッシング)

●『金融暴落から戦争に突入する日本国』(成甲書房)

●『日本人だけが知らない この国の重大な真実』(イースト・プレス)

●『炎上する世界経済』(イースト・プレス)

●『新天皇の時代は「世界大崩壊の時代」となる』(ヒカルランド)



  (2020年3月=現在)